さぁ、
次の100年へ。
航海するとき、
無事に港までたどり着いて欲しい。
私たちは、こころからそう考えています。
航海するとき、
無事に港までたどり着いて欲しい。
私たちは、こころからそう考えています。
大正十五年十一月十二日。
ナカシマプロペラ創業者の中島善一は
これまでお世話になった
鋳造業の人たちと
競争にならないよう「銅合金鋳造業」の
道を
選びました。
太平洋戦争の岡山空襲で全壊した中島鋳造所は
小さな工場から再開しました。
ナカシマプロペラの推進力は
世界の海を駆けめぐっています。
ナカシマプロペラの技術力と開発力は
常に前進しつづけてきました。
私たちは今、プロペラづくりの領域を超えて、
船が前進するためのすべてを考えます。
「自分たちだけがしあわせになるための
仕事であってはいけない」
ナカシマプロペラ中島崇喜は考えます。
(5分11秒)
GO BEYOND NEXT 100
さあ、次の100年へ。
1926年の創業以来、
ナカシマプロペラは進み続けてきました。
その道のりは、飽くなき挑戦の連続でした。
これまでの私たちの歩みをご覧ください。
鳥取県の寒村に生まれた創業者、中島善一。物心つく前に岡山県の児島湾にある開墾地へ一家で移住します。その後、岡山市内山下の西崎鋳造所へ入所し修行を重ね、親方のもとで腕利きの鋳物師としての実力をつけていきました。
関東大震災による不況に見舞われるなか、善一は妻の松子とともに「中島鋳造所」として独立を決意します。その時彼は、お世話になった親方と競合することを避けるため、これまで慣れ親しんできた鉄鋳物ではなく、銅合金鋳造業の道を選ぶことを決めました。
創業直後の中島鋳造所は、石油発動機や工作機械などの軸受用部品を主に製造していました。ある日、とある石油発動機店の主人から漁船用のプロペラ鋳造を勧められた善一。船やプロペラ無くして島国日本の発展はあり得ない、という強い思いが、善一をプロペラ鋳造への挑戦に駆り立てました。
太平洋戦争のさなか、岡山市全域が空襲の被害に遭い、中島鋳造所の工場も全焼してしまいます。途方にくれる善一でしたが、妻の松子の激励と、当時出兵していた長男の保の帰還を機に、プロペラメーカーとしての会社再建へと動き出します。
戦地から帰還し専務取締役に就任した保は、日本の視察団の一員として、また後に単身で、二度にわたりアメリカを訪れ調査を行います。その経験を礎に、東欧、インド、シンガポールなどへ輸出を拡大し、業界に先駆けて海外へと目を向けていきました。
船舶の大型化という時代の潮流を捉え、小形から大形まであらゆるプロペラを供給できる総合プロペラメーカーへの転身を決意。主力となる工場を岡山市東区の上道北方に建設します。社長となった保を突き動かすもう一つの原動力となったのは、同業他社から「小さなプロペラのナカシマさん」と呼ばれたことへの悔しさでした。
キーレスプロペラの開発に成功。 当時の技術担当取締役・中島稔(現ナカシマホールディングス会長)が中心となり、 日本舶用機器開発協会の協力のもと、キーレスプロペラの国産化に挑みました。実験 と実船での検証を重ね完成したこの技術は、プロペラ軸の折損リスクを大幅に下げ、 船舶運航の安全性向上に大きく寄与しました。
会社の更なる躍進を見据え、ナカシマの頭文字「N」を紺色と赤色で示した新たなシンボルマークが策定されました。紺色はナカシマグループの出発点である「母なる海」と「海外への躍進」を、赤色は「陸への新たな躍進」と「湧き上がる情熱と活力」をそれぞれ意味しています。
船舶用プロペラの製造で培ってきた設計技術や金属加工技術を生かし、「人工関節の製造」という医療機器分野への進出を決意します。この年に医療用具製造業許可を取得し、病院に初めて人工膝関節を納入。新たなビジネスモデルへの挑戦が始まりました。
船舶のさらなる大型化の要求に応えるべく、岡山県倉敷市水島地区にある人工島「玉島ハーバーアイランド」での新工場立ち上げに乗り出しました。工場には翼面加工機や反転装置など最新鋭の専用設備を揃え、より安全かつ効率的な製造工程の実現に挑みました。
ベトナムのハイフォン市に、会社として初の海外生産拠点を設立しました。プレジャーボート向け小形プロペラの生産力強化が当初の狙いでしたが、これを皮切りに海外市場の更なる開拓を図り、フィリピン、シンガポール、上海、欧州など拠点を拡げていくことになります。
人工関節開発からスタートした「ナカシマメディカル」、情報システム分野の事業拡大を目指す「システムズナカシマ」、オフィス空間デザインを手掛ける「ナック」をはじめとするナカシマグループを再編。まだ誰もしていないこと、まだ誰もできないでいることをグループで実現したいという思いを込め、ブランドスローガン「We Go Beyond」を策定しました。
創業100周年に向けて、新たな経営計画を策定。プロペラ設計・製造に留まることなく、船舶の製造から就航中まで、その一生に寄り添った幅広いソリューションを提供することを目指しました。新たなビジョンのもと、会社一丸となって製品ラインナップやアフターサービスの内容拡張、パートナー企業との協働を進めました。
CFRPプロペラが「ものづくり日本大賞」内閣総理大臣賞を受賞。 2007年から、CFRP(炭素繊維強化プラスチック)製プロペラの研究開発を開始。 世界で初めてCFRP製プロペラを一般商船に搭載したことで、世界から注目を浴びました。軽量かつ高強度であることで知られているこの素材を船舶の推進器に用いることで、燃費の削減や船内の振動・騒音の低減に貢献しています。
創業100周年を迎える。ナカシマプロペラは創業以来、船舶用スクリュープロペラの設計・製造・販売を中心としながら数々の挑戦を重ねてきました。その根底には常に『どんな時も、安全に航海ができるように』という思いがありました。これからも船に関わるすべての人の安全と幸せを願い、100周年のその先へ、さらなる歩みを続けていきます。
航海するとき、
無事に港までたどり着いて欲しい。
私たちは、こころからそう考えています。
嵐で海が荒れるときも、強い潮に押し返されるときも、
果てしない水平線にくじけそうなときも、
安全な航海ができることが、
いちばん大切なことなのですから。
私たちが創業以来、正確に、力強く、美しく、
船を前進させることに、
こだわってきたのは、そのためなのです。
創業100年。
ものだけでなく、船に乗る人たちの夢や希望も
大切な誰かに届けるために、
世界中の船を安全に前へ進めることをよろこびとしたい、
私たちナカシマプロペラです。
大正十五年十一月十二日。
ナカシマプロペラ創業者の中島善一は
これまでお世話になった鋳造業の
人たちと
競争にならないよう「銅合金鋳造業」の道を選びました。
これから島国が発展していくために必要なのは、船づくりだと考えた
彼は生涯をプロペラづくりに捧げることを決意したのです。
昭和三年五月十二日。
小さな漁船の小さなペラが完成しました。
ナカシマプロペラの誕生です。
それから100年。
「和」を重んじる精神を込めて、プロペラづくりを続けてきたのです。
人を大切にし、技術を大切にし、前進するために生まれてきた
私たちナカシマプロペラです。
太平洋戦争の岡山空襲で全壊した
中島鋳造所は
小さな工場から再開しました。
昭和二十二年、大型プロペラの製造に成功。
「小さなプロペラのナカシマさん」と呼ばれてきた私たちの技術は、
世界の海を航海することができる大きな推進力を生み出したのです。
プロペラづくりでは世界のトップを走りつづけるナカシマプロペラ。
さらに速く、さらに力強く、
今日、前進している船を明日の船が
追い越していくために。
私たちは未来のプロペラをつくり続けます。
さあ、未来の技術を磨いていこう。
ナカシマプロペラの推進力は世界の海を駆けめぐっています。
穏やかな多島美の瀬戸内海。
たくさんの船がひしめき合う東京湾。
事故の多い南シナ海や、マゼラン海峡。
どの海を、どんな船で航海するのか。
ベストなコンディションで進むためには
それぞれに最適な推進力が必要なのです。
さまざまな海がある。さまざまな船がある。さまざまなプロペラがある。
どんな海でも安心して航海できるのも
ナカシマプロペラの柔軟な開発力があるから。
さあ、あらゆる海を進んでいこう。
ナカシマプロペラの技術力と開発力は常に前進しつづけてきました。
私たちは今、プロペラづくりの領域を超えて、
船が前進するためのすべてを考えます。
自然にやさしい航海はもちろんのこと、
船尾から発生する騒音を抑えたり、
巨大な船体をスムーズに着岸させたり、
水の中からバランスよく見渡すことで、
船の機能やデザインまでも変えていく。
プロペラ作りから始まった技術が船のすべてを進化させていくのです。
過去の自分たちを超えていくこと。
それが新しい推進力を生み出すこと。
さあ、プロペラを超えていこう。
「自分たちだけがしあわせになるための仕事であってはいけない」
ナカシマプロペラ 中島崇喜は考えます。
船づくりに関わるすべての人たちが共に協力したり、
競い合うことで、
生まれてくる未来の推進力が
船舶業界をしあわせにしていく。
小さな漁船、プレジャーボート、
地元のフェリー、巨大な貨物船、
海を航海する人、海の向こうで待つ人。
すべての人たちがしあわせになれる。
そんな未来をつくるために、
明日に向かって前進していこう。
私たちみんなで前進していこう。
さあ、次の100年へ。